
最近、「ポリコレ」という言葉を聞くことがあるけど、
どんな意味なのか知りたい。
こんなテーマの内容です。
ポリコレとは、ポリティカル・コレクトネスの略です。ポリティカル・コレクトネスとは、「政治的な正しさ」を意味しますが、その実体は、「共産主義思想に基づく考え方」です。その内容について、わかりやすく説明していています。

最近、ニュースでも、
「ポリコレ」
というワードを聞くことが増えてきました。
なんとなく、漠然とした意味でとらえることが多いですが、正確には、どんな内容なのでしょうか?
これは、表面的には、
ポリティカル・コレクトネス(political correctness)
を略した言葉で、直訳は、
「政治的な正しさ」
あるいは、
「政治的妥当性」
といった意味合いになります。
実際の使われ方、意味合いとしては、
「人種、性別、文化、民族、年齢、宗教、政治嗜好、性癖などの違い」による「偏見、差別を含まない言葉、用語、表現」を用いなければならない
という考え方のことを指します。
「ポリコレ」自体は、なんとなく、
弱者を救済するような良いイメージ
で伝えられる場合がありますが、
その実体
は、
リベラルと呼ばれる「共産主義思想に基づく考え方」
であり、弱者救済の思想ではありません。
この点をはっきりと、認識しておく必要があります。
この思想は、実は、
非常に、怖い思想
と言えます。
なぜなら、その目的が、
その国ごと、地域ごとの文化、習慣、価値観を、否定する、あるいは、破壊する
という考え方だからです。
実際、ポリコレが先行しているアメリカでは、
行き過ぎた「ポリコレ」が、社会問題となる
といった状況があります。
下記に、「ポリコレ」の歴史とあわせて、順に詳しくみていきましょう。
また、本ページの内容は、下記の書籍を参考に記載しています。
日本人にリベラリズムは必要ない。「リベラル」という破壊思想 田中 英道 (著)
「ポリコレ」の歴史

「ポリコレ」という言葉は、いつ頃から使われているのでしょうか。
Wikipediaによると、下記の記載があります。
ブリタニカ百科事典に依ると、ポリティカル・コレクトネスという用語自体は、1917年のロシア革命後に成立したマルクス・レーニン主義の語彙の中に初めて登場し、当時はソビエト連邦共産党の政策と原則の遵守を求める言葉として使用されていたという。
Wikipedia
マルクス・レーニン主義の語彙にあるということは、歴史的にも、
共産主義思想の中で使用された言葉
と言えます。
ただ、当初は、政治活動の場において、
「それは、政治的に正しい。」
あるいは、
「政治的に正しくない。」
といった普通の言い回しで使われていたり、
「相手に対して、皮肉、揶揄する際に用いられていた」
と言われています。
それが、
1990年代初頭
より、「文化的マルクス主義」の為のキーワードのひとつとして、現在、使用されている意味合いの言葉として使われ始めたという流れになっています。
「文化的マルクス主義」とは、
社会の文化的な面から、共産主義思想を浸透させていこう
という考え方です。
それでは、なぜ、1990年代初頭というタイミングなのでしょうか?。
それは、そのタイミングで、ソ連の崩壊があったからです。
このソ連の崩壊により、歴史的には、
共産主義国家の存続が否定されたこと
ということになり、このことが、左翼的思想の方向性に大きな変化が生じたということになります。
つまり、共産主義を実現する為の対象が、
「経済」から「文化」にシフトした
ということになった経緯があります。
このことは、
リベラル
という思想とも、深く関連しています。
リベラルに関しては、下記ページで解説しています。
共産主義における「文化」のとらえ方とは?
共産主義において、「文化」とは、一体、どのようなとらえ方、解釈をしているのでしょうか?
結論からいうと、
「すべての文化は、均一化されるべき」
という考え方になります。
そもそも、
均一化された文化
は、
文化と呼べるのか?
という疑問はあります。
また、この「均一化された文化」という思想は、一見、
多文化主義あるいは、文化の多様性
を、
否定している、あるいは、矛盾している
ように見えます。
しかしながら、実は、そうではありません。
なぜなら、共産主義、リベラルの多文化主義、文化の多様性
は、常に、
マジョリティー(多数)
と
マイノリティー(少数)
との対立構造を構築して、その中で、
多文化主義、文化の多様性といった名目の下
に、
マジョリティー(多数)の文化、習慣を否定、破壊する
ということを行うからです。
これは、工作活動といったほうが、実体に近いと言えます。
つまり、その実態、目的は、「各国、各地域の文化を尊重する」のではなく、
各国、各地域の文化を否定
することにあります。
目的さえ達成すれば良いので、
マイノリティーの文化、習慣
については、特に重要視はしていない訳です。
(このことは、アメリカにおける左翼思想の政治家、マスコミが、「人種差別」を利用するのと同じ発想と言えます。)
そうなると、結果的に、
文化の均一化を目指すということ
との、合理的な説明がつきます。
例えば、ニュースでも、リベラルを自称する、左寄りの政党の政治家が、
「日本は、時代遅れだ。」
と見解を述べている場面を見かけることがありますが、こういった発言をみても、
日本の昔からの習慣を変えたい
と考えていることがよくわかります。
つまり、少なくとも、左寄りの政党の政治家は、
日本の文化、習慣を尊重していない
ということから、
文化の多様性は見せかけの主張で、目的は、その国の文化、価値観の否定である
ということがわかります。
つまり、彼らは、
多文化主義
を唱えながら、
日本の文化、習慣を否定する
という矛盾に満ちた存在と言えます。
しかも、
弱者を救済するふり
をして、結果、その国、その地域の文化、習慣を破壊しようとしていますので、非常に、たちが悪いと言えます。
共産主義は、対立構造を作り出すことが前提になる?!
共産主義思想の特徴としては、上記にも記載したように、
対立構造を作り出す
ということに、その特徴があります。
つまり、
マジョリティー(多数派)とマイノリティー(少数派)
という
対立の図式
を作り出し、それを前提として、
問題を煽る
という流れになる訳です。
ポリコレの定義を振り返ってみましょう。
(ポリコレとは)
「人種、性別、文化、民族、年齢、宗教、政治嗜好、性癖などの違い」による「偏見、差別を含まない言葉、用語、表現」を用いなければならない、という思想。
この考え方自体、
「人種、性別、文化、民族、年齢、宗教、政治嗜好、性癖などの違い」
には、
「偏見、差別」がある
と、決めつけて、問題を醸成しているという訳です。
果たして、その考え方は正しいのでしょうか?
日本では、「郷に入れば郷に従え」ということわざがあります。
これは、日本だけの発想ではありません。
西洋においても、
When in Rome, do as the Romans do.(ローマではローマ人のようにしなさい。)
ということわざがあります。
当たり前の考え方ですね。
しかしながら、共産主義思想は、常識が通用しません。
また、非常識なウソも、繰り返されると、その考え方が、社会に浸透していきます。
「嘘も百回言えば真実となる」
これは、ナチス・ドイツの宣伝大臣であったヨーゼフ・ゲッベルスの有名なセリフです。
彼は、プロパガンダ(特定の思想、世論、意識、行動へ誘導する宣伝行為)の天才と呼ばれており、マスコミを効果的に活用して、工作を行っていたわけです。
やはり、歴史から学ぶことが、いろいろありそうですね。
「ポリコレ」が実現すると、どのような社会になるのか?

アメリカの事案
アメリカでは、既に、行き過ぎた「ポリコレ」が、社会問題化した事案があります。
例えば、トイレの使用です。
「心は女性でも身体は男性」というトランスジェンダーが女子トイレや女子更衣室に日常的に入ってくるようになったらどうなるのか?
という論争です。
実際、この事案について、
米政府;拒絶するのは差別
と
ノースカロライナ州;出生証明書の性別通りのトイレ使用を義務付け
という政策の違いが争われています。
まったく、ばかばかしい論争ですが、
「ポリコレ」を推進
すると、このような問題が発生します。
アメリカ政府を、非常識なことを堂々と主張する、頭のおかしい連中と思ってはいけません。
ウソも、繰り返し刷り込まれると、それを信じる人もでてくるからです。
日本の場合
残念ながら、既に、国内でも、
「ポリコレ」の影響
で、社会に影響を与えている事案があります。
職業の名称
例えば、
看護婦さん
という名称が、
看護師
に変化しました。
看護婦さんという名称は、1915年(大正4年)に制定された「看護婦規則」からの表記ですので、かれこれ、100年以上前から、慣れ親しんだ表現です。
また、男性看護士さんは、1968年(昭和43年)の保健婦助産婦看護婦法改正後です。
それ以降は、看護婦さん、看護士さんの名称が並存していました。
しかしながら、2001年(平成13年)の保助看法改正時で、「看護婦」や「看護士」が全て「看護師」に統一されました。
性別によって異なっていた呼び方が統一されたという訳です。
いわゆる、ジェンダーフリーな名称となったということです。
ファミリーマート「はだいろ」事件
また、ファミリーマートの下着の色を、「はだいろ」と表記したことにより、商品を回収した事件がありました。
2021年3月、ファミリーマートが、全国で販売していた自社ブランドの女性用下着の色に感関して、
ベージュ色の表記を「はだいろ」
としたことが不適切を指摘があり、商品を回収したという案件です。
つまり、肌の色は、人それぞれ異なるという理由です。
これも、明らかに、「ポリコレ」の思想に影響された事案と言えます。
しかも、商品回収における実損が発生しています。
こういったことは、非常に、やっかいな事柄だと言えます。
いわゆる、「言葉狩り」と呼ばれるような現象です。
行き過ぎた「ポリコレ」の弊害
「ポリコレ」を進めると、
長きにわたって親しまれてきた名称
について、
あたかも、悪い事のような理屈で、変更されてしまう、
ということになります。
こういったことは、果たして、良いことなのでしょうか?
このような名称だけに限らず、例えば、宗教面でみると、どういったことになるかみてみましょう。
例えば、アメリカでは、クリスマスの日に、
「メリークリスマス」
という挨拶は、宗教差別、あるいは、宗教的な違いを生じさるということで、
「ハッピーホリディズ」
とすべきだという、「ポリコレ」思想に基づく動きがあります。
これを日本にあてはめると、どういうことになるのでしょうか?
考えただけでも、怖いですね。
つまり、「ポリコレ」の思想どおりに社会が変化すると、宗教の違いも否定されることになります。
ちなみに、共産主義は、宗教を否定していますので、「ポリコレ」の施策も当然、宗教を否定することとなる訳です。
共産主義思想を深く知る

「ポリコレ」のベースとなる、
共産主義思想
とは、いかなる思想なのでしょうか。
下記は、53年前の動画ですが、
共産主義思想のこと
がよく理解できる動画になっています。
正直、53年前も、現在も、根本的に何も変わっていません。
なぜ、このような思想に共感する人がいるのか、不思議です。
【日本語字幕】【保存版】共産主義の本質がわかる53年前の警告|前編
【日本語字幕】【保存版】共産主義の本質がわかる53年前の警告|後編
まとめ

大手マスコミでは、「ポリコレ」の、
「人種、性別、文化、民族、年齢、宗教、政治嗜好、性癖などの違いによる偏見、差別を含まない言葉、用語、表現を用いんければならない」
という考え方を、概ね、
良いこと
のように報道しています。
しかしながら、「ポリコレ」の
本質的な部分
あるいは、
その目的
を、しっかりと、認識しておく必要があります。
上記にも記載しましたが、「ポリコレ」の目的は、
弱者救済
ではありません。
弱者救済を装って、
その国ごと、地域ごとの文化、習慣、価値観を、否定する、あるいは、破壊する
ということが、その目的になっています。
これは、「ポリコレ」が、
共産主義の思想に基づく活動の一環である
ということを考えれば、合理的な説明がつきます。
ここで重要なのは、
ニュースでの表面的な、あるいは、偽善的な報道を鵜呑みにしない
ということです。
これは、昨今の、
SDGS
にも共通する問題です。
SDGSの17の目標の中にも、しっかりと、
ジェンダー平等の実現
という項目がはいっていますね。
「ポリコレ」を推進している人たちと、SDGSを推進している人たちは、同じ思想の人たちなので、当然ですね。
以上、「ポリコレ」についての説明でした。
