渡辺京二氏の「逝きし世の面影」という名著

まえむきブログ

幕末に来日した西欧人の著作から、
 当時の日本の様子
を考察した、渡辺京二氏の「逝きし世の面影」という名著があります。

こんなテーマの内容です。

このページの内容

渡辺京二氏の「逝きし世の面影」では、幕末の国内の生活習慣や文化、風俗、自然の様子がわかり、非常に感銘を受けます。

まえむきブログ

幕末や明治初期の日本の様子について、
 来日した西欧人の書き残した著作物
を通して、考察されている「逝きし世の面影」という本があります。

まさに、
 名著
です。

昨今の書籍や、TVを含むマスコミでは、国の歴史について、
 バイアス(かたより)
があり、正確な様子がわかりにくい状況です。

例えば、昨今では、大河ドラマに描かれた城が、
 チャイナ様式(戦後、中国と呼ばれている地域の様式)
の城になっていたりします。

もう、「めちゃくちゃ」です。

なるべく、テレビは見ないようにして、
 渡辺京二氏の「逝きし世の面影」
のような良質な書物を手に取るようにすると良いでしょう。

この良書には、
 古き日本の様子
が実に詳しく書かれています。
まさに、一次資料を基にした情報と考察された書物として、価値があります。

近代にはいるまえの、ご先祖様の生活の様子、文化、風俗、自然をあらためて確認することで、
 これからの国のあり方
を考える上でも参考になるのではないでしょうか。

渡辺京二氏の「逝きし世の面影」という名著

また、
 ご先祖様がどんな人たちだったか
を知ることで、自分の原点を知ることにもなります。

いずれにしても、
 興味深い記述
が、たくさん記述しています。

[スポンサー]

目次

往時の日本の様子

まえむきブログ

江戸末期にが、多くの外国人が日本にやってきて、
 その風土、文化、生活習慣、風俗
に、驚きの目をもって観察し、それを文献に残しています。

そういった文献を整理し、考察したのが、この、
 渡辺京二氏の「逝きし世の面影」
という名著です。

その内容を参考に、江戸末期の日本の様子をみていきます。

江戸末期にやってきた外国人

幕末に、西欧諸国との通商条約を締結したことにより、
 多くの西欧人
が日本に訪れました。

その中には、長く、日本に住んだだけでなく、日本の生活様式、文化、自然などのついての書物を残し、西欧に紹介した人が、数多くいます。

例えば、下記のような書物があります。

 B.H.チェンバレン 「日本事物誌」(平凡社東洋文庫)
 ジョルジュ・ブスケ「日本見聞記」(みすず書房)
 ウォルター・ウェストン 「知られざる日本を旅して」(新人物往来社)
 モース 「日本その日その日」(講談社学術文庫)
 ラインホルド・ヴェルナー 「エルベ号艦長幕末記」(新人物往来社)
 ラザフォード・オールコック 「大君の都」(岩波文庫)
 ベルク 「オイレンブルク日本遠征記」雄松堂書店
 エドウィン・アーノルド 「亜細亜の光」(岩波文庫)
 ルドルフ・リンダウ 「スイス領事の見た幕末日本」(新人物往来社)

もちろん、その他にも、多くの書籍があります。

はっきりいって、
 近年の外国人の書いた日本に関する書物
よりも、その数、質をも充実しているように感じます。

また、その内容も緻密な観察がされているように思います。

幕末に日本に来た外国人は、国内の様子を、かなり緻密に描写しています。
さて、江戸時代のひとびとの暮らしぶりを見ていきましょう。

幸福で、陽気な人たち

まえむきブログ

西欧人の目に、当時の日本人は、どのように映ったのでしょうか。

日本人に対して辛辣な批判をしていたオールコックは、
 「日本人はいろいろな欠点がをもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」
と書いています。

オールコックは、英国人で、文面からも英国人特有の傲慢な性格が見て取れますが、それでも、上記のようなコメントを残しています。

また、ペリーは、下田で、
「ひとびとは、幸福で満足そう」
と書き残しています。

その他、下記のような記述があります。

ヘンリー・S・パーマー
「誰の顔にも、陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして、機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融け合う。彼らは、何か目新しい素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しものを見つけてじっと関心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている。」

プロシャのオイレンブルク使節団(遠征報告書)
「どうみても彼らは、健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」

オズボーンは、
「不機嫌でむっつりした顔には、ひとつとして出会わなかった」

ボーヴォーワル
「この民族は、笑い上戸で、心の底まで陽気である」
「日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい」

ケンぺル
下田の南西方面に足を踏み入れた際、私はこれまで、容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子どもたちの顔は、みな、満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉付きが良い。

江戸時代のわれわれのご先祖様は、まさに、
 幸福で、陽気な人たちだった
ことがわかります。

では、みんなが豊かな生活をしていたのでしょうか。
必ずしも、そうとは限りません。

下記のようなことが書かれています。

B.H.チェンバレンは、
 「日本には貧乏人はいるけれど、貧困は存在しない」

ジョルジュ・ブスケも、
「日本人の生活はシンプルだから貧しい者はいっぱいいるが、そこには悲惨というものはない」

エドウィン・アーノルド
「日本の最も貧しい家庭でさえ、醜いものは皆無だ。お櫃からにいたるまで、すべての家庭用品や個人用品は、多かれ少なかれ美しく、うつりがよい」

つまり、貧しい人も、つつましくでも、楽しく幸せに暮らしていたということがわかります。
貧乏だからといって、不幸ではないということでしょう。

それだけ、心の余裕があったということなのではないでしょうか。
それは、生活する上での価値観において、
 金銭も比重がそれほど大きくなかった
ということかもしれません。

アジアの地域で、もっとも、清潔で正直な人たちの住む国

まえむきブログ

また、アジアの他のエリアとの比較についての記述もあります。

ボーヴォーワルは、日本を訪れる前に、オーストラリア、ジャワ、シャム(タイ)、シナ(中国)を歴訪していますが、
「日本は、この旅行を通じ、歩きまわった国の中で、一番素晴らしい」
「地球上、最も礼儀正しい民族だ」
「いささか子どもっぽいかもしれないが、親切と素朴、信頼にみちた民族」

と書き残してします。

また、その他に、下記のような記述がなされています。

イザベラバード(女性)
「ヨーロッパの国の多くや、ところによっては、たしかにわが国でも、女性が外国の衣装でひとり旅をすれば、現実の危険はないとしても、無礼や侮辱にあったり、金をぼられたりするものだが、私は、一度たりとも無礼な目に逢わなかったし、法外な料金をふっかけられたこともない。」

プロシャのオイレンブルク使節団
「横浜滞在中、しばしば近郊の村々を訪ねたが、どこへ行っても、「茶、卵、オレンジ」などでもてなされ、その代価は、おどろくべきことに、数グロッシェンで十分なのだった。」

では、当時のアジアの他のエリアは、どのような状態だったのでしょうか。

カッティンディーケ
長崎に滞在中、所用で上海に訪れた際の感想。
「私は、シナ滞在中でも、ああ日本は聖なる国だと幾たび思ったことか。日本は、国も住民もシナに比べればどんなによいか知れない。」

ボーボワァル伯爵
「ああ、あのような不潔、下品なあの中国は、「死の平原」だったのである。」

オリファント
「われわれはシナで1年を過ごしたが、その王国に比べれば、すべて日本のほうが優っていた。」

モラエス
「シナ似長らく住んで、その背景の単調、その沿岸の不毛、ピエル・ロティーが「黄色の地獄」と言った、ヨーロッパ人がひどく厭う恐ろしい醜い人間の群れが、汚い暮らしをしているあのシナの部落の不潔を見慣れた者にとって、この日本との対照はまったく驚異に値するものだった。」

いずれも、「チャイナ好きの新聞社の記者、学者」が見ると、気が狂いそうになるかもしれない内容です。

もっとも、渡辺氏も指摘しているように、当時のチャイナが、
 異民族支配下の専制帝国の混乱した末期
ということも考慮しておく必要があります。

それでも、西欧人の目には、
 日本は、他のアジアの国と比べて
も、
 非常に魅力的な国
だったと言えます。

少なくとも、新聞やテレビなどのマスコミが、ステルス的に報道、番組に差し込むうような、
 チャイナ(戦後、中国と呼ばれているエリア)
から、
 いろいろな文化が伝わった
ということは、状況的にみて、疑わしいと言わざるといえません。

さらに古い時代には、チャイナから日本に文化が伝わったと反論する人もいるかもしれません。
しかしながら、〇〇新聞の記事などを見る限りは、そういった論調は、なにか政治的な工作活動のような印象を受けます。

情報のバイアス(かたより)の原因

まえむきブログ

情報のバイアス(かたより)に関することについては、渡辺氏も「逝きし世の面影」のなかでも、いくつかの事案をあげて指摘しています。
そのひとつが、横山俊夫なる学者が、
 日本の魅力を書き綴った当時の西欧人は、幕府の役人に欺かれた
というなんとも珍妙な論理展開?をしているという内容です。

こういいった、珍妙?な論理を展開している理由は、
 当時の西欧人が、日本は魅力的な国だ
と述べていることが、「許せない?」、「どうしても否定したい」と考えているからなのでしょう。

その論説のなかで、こんな話しがあります。
オズボーンという西欧人が、宿舎の芝西応寺までの移動の際に、事前に、
 役人が、見苦しくないように通りを清掃せよ
と指令をだしていたため、オズボーンは、
 日本の一表面を見ただけで、欺かれた
と述べています。

よく、こんなこじつけた解釈ができたものだと、あきれてしまいます。
しかも、自身の著作を、英語にして、英国の出版社からだしています。

日本を高く評価する外国人の書いた書物を、
 珍妙な論理?で否定し、
しかも、
 英文で出版する
という、まさに、「異様な人物?」が、実際に存在するわけです。

多分、こういった思想、言動の人物が、学会、マスコミにもいるのでしょう。
そういった論調の情報が、情報のバイアス(かたより)の原因と推察されます。

おわりに

まえむきブログ

江戸時代において、日本は、
 西欧から来た人が、驚嘆するほどの高いモラルがあり、幸福な人たちの国
だったわけです。

また、その流れは、今も続いています。
(一部の人たちを除いて。)

ただ、日本という長い歴史のある、高いモラルと誠実な国に住んでいると、危険なこともあります。

それは、
 外国に対して、お人良しになりすぎる
ということです。

例えば、国内の価値観では、
 嘘をつくことは、悪いこと
ですが、
 そういう風に考えない国
もあるわけです。

あるいは、友好を装って、スパイ活動をする国もあります。
更に、国内には、そういった国に加担する人、俗に言う、「スパイ」「工作員」「売国奴」と呼ばれる人も存在します。

こういった危険性を認識しておくことは、大変、重要なことと言えます。

以上、幕末に来た外国人から見た江戸時代の人たちについてでした。

まえむきブログ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

[スポンサー]

目次